Makun考察

哲学や教養についての基礎的な物事と社会一般に応用できる実践的な物事に対する考察ブログ

【意識高い系?】「カタカナ語を使いたがる人」という了見の狭いレッテル

カタカナ語を使いたがる奴」というレッテル

コミュニケーション、アブストラクト、ファクト、ロジック、コンセンサスetc...(主に英語圏)から輸入された外来語をそのまま使うこと事に対してカタカナ語を使いたがる人」というレッテルを貼り批判する人がいます。

おまけに、短絡的な思考しかできない一部の人は「カタカナ語を使う⇒無理に知性的に見せようとしている」と一般化して判断してしまっている人も稀にいます。

本来、カタカナ語を使う事は、必ずしも知性的に見せようとしているわけではありません、口語コミュニケーションにおいてカタカナ語の使用は構造的なメリットがあり、無条件に批判するべきではないのです。

というのは、日本語(漢語)を使うよりも、カタカナ語を使う方が同音異義語の存在による誤解」を回避しやすいことです。

表意文字表音文字という言語的差異

外来語の単語がアルファベットを用いた表音文字である一方で、日本語(漢語)は表意文字です。また、表音文字に比べて表意文字はその言葉を文字に起こさない限り意味を取りにくいのです。したがって、表音文字で構成されたカタカナ語の方が、口語コミュニケーションにおいては優位なこともあり得ます。

 

例えば、「使うとよく非難される言葉」としてコンセンサスがあります。コンセンサスとは日本語で言う「総意」を意味する言葉でありますが、「ソウイ」と口語で言われても、相違、創意、相違、相異など「ソウイ」の音に該当する日本語は無数にあるため誤解の余地(=解釈可能性の幅)があります。(もちろん文脈によって【ある程度は】どの語が該当するか推測可)

しかし、「コンセンサス」という表音が示す語句は英語のConsensus1つしかありません。したがって、解釈可能性はConsensus概念のコンセンサスに絞られ、口語コミュニケーションにおける誤解の回避や、誤解には至らないまでも、「ソウイ」の時の様にどの語に該当するのかについて脳を使うエネルギーの節約になります。

レッテル貼りはやめよう

カタカナ語を使う⇒コンプレックスの裏返しの様に決めつけてしまう人は了見が狭すぎます。自分の思いこみを一般化するのではなく、視野を広く持って考えましょう。また、「自分が分からない言葉」を使われたときに、プライドを守るために相手の言葉選びを非難する人がいますが、分からないことは素直に聞きましょう。聞くは一時の恥、聞かぬは一時の恥です。